ひとりってなんだろう

 

 サイゼリヤって深夜にドリンクバー頼んで友だちとダラダラ喋って解散するところらしいとはインターネットや本を読んで知っていたけど、集まれる友だちもいなければ夜中まで出歩く元気もなく、そもそも周辺の店は夜になるとコンビニ以外閉まる、サイゼのサの字もないところに住んでいたので憧れだけちょっとあった。

 仕事の都合で別の町に引っ越して、職場から家までの通勤路にあった。サイゼが。この町のサイゼはいつ見てもバイト募集の旗が立っている。仕事帰りの週末、私はサイゼのドアを叩いた。いや叩いてないけど、たのもー!って気持ち。他のサイゼを知らないので私にとってはここが親のようなサイゼ。週末だからか家族連れが多い。大学生や高校生もたくさん連んでいた。ひとりです、と言ってデカいボックス席に案内される。メニューは安いのか高いのかわからないけど空港で食べたロイヤルホストよりはるかに安いから安いのだたぶん。

 

 カルボナーラは美味しかったし、水も飲んだけどドリンクバーは頼む気になれなくて、頬杖をついて店内のざわめきに耳をすませていた。本を読んだりパソコンをしたりしてわりと長い間ぼんやりしていたけれど何も言われず、誰も私に関心を払っておらず快適だった。

 

 仕事わしていると頭を空っぽにするだけで休日が終わってしまう。たまに休日があっても何をしていいかわからなくなってくる。大学生のうちに友だちと来ておけば青春だったかもしれないけど、私にとってのサイゼは仕事帰りにひとりでぼんやりするところになった。高校と大学時代を思い出す。文学が好きだった。短歌や詩をぽつぽつと作っていた。楽しかったはずの文学も向いてなかったし続けられなかったなと思うばかりで、今はむしろ嫌いだ。文学をしているような特権性や誤魔化しや言い訳や自己陶酔や余裕が嫌いだ。文字もうまく書けない、家に本が一冊もない、ひらがなしか読めないような人たちと接するようになった。自分はただ運が良かっただけのように思う。別にその人たちの運が悪いわけでもない。

 BLは変わらず好きだけど、前のような熱意はなくて、むしろただただ消費されていく同性愛表現や現実の政治には関心のないファンダムや出版社を見るとたまにしんどい。女が当て馬にされたりホモソーシャルだったりするBLもめんどくさい。私が書きたいと思うけど、なんか頭が働かない。

 

 実家にも帰りづらくて、ふらっと集まったり電話したりできる友だちもいなくて、SNSで交流する気力も勇気もなくて、イベントに出かける時間とお金もあんまりない。ひとりで生きることには満足している。