わたしの祖父

この記事は読むと不快な気持ちになったり傷ついたりするかもしれないので気をつけて。私の身近な人の人種差別的な言動について私が吐き出したいことを書いています。

 

 

祖父と暮らすようになったときの話。

 

テレビで在留外国人が不法滞在で捕まる映像が流れてて、高齢の祖父母が「ガイジン」と嫌悪や嘲笑をあらわにしているところを見るのがとてもつらい。

技能実習生の労働環境や入管の人権侵害、警察の横暴さについて、私はネットニュースやSNSで少しは知ることができたけど、祖父母の情報源は偏ったテレビ番組しかない。それか読みたいところしか読まない新聞か、ものすごくたまにしかつけないラジオ。

祖父はiPadを持っているけれど、積極的にインターネットを使おうとはしない。なぜなら「怖い」と言う。「無料で見れるのは詐欺かもしれない」と思っている。通信料や広告収入、フィルタリングについて説明されても、「よくわからない」と遠ざけてしまう。

私たちも、ネットリテラシーについて細かくレクチャーする時間も気力もない。そもそも生まれたときからインターネットがあった私たちにとっては「なんとなく」「感覚で」「見ればわかる」「ググればわかる」ので、インターネットのない世界で生きている人の「怖さ」に寄り添いながら丁寧に操作方法や取捨選択を言語化することは「めんどうくさい」のだ。

他人ではなく身内ならなおさら、何事にも精力的だった頃を知っているので内に閉じこもる祖父を見ると疲れてしまう。もちろん、それが祖父なりの「世界の守り方」だもわかっていても。

 

祖父は戦中生まれで、近所のお兄ちゃんの背中におぶわれながら大空襲の日に山向こうの空が真っ赤に染まっていたのを見た記憶があるくらい昔の人(私たちからすればそれくらい「昔」だが、私より若い子どもたちからすればそれはさらに「昔」になる)なのだが、ウクライナ侵攻のニュースに対してもわりと冷たい。もちろんプーチンのことは嫌いみたいだ。けれども「国土は広いが資源もない、冬は寒い。ロシアは所詮そういう土地なんだから、ロシア人は侵略しか考えてない。日本人とは考えが違う、話が通じない」というようなことをものすごく嫌そうな顔をして語る。私はこの発言にさほど驚かなかった。

なぜって、祖父はテレビに映るK-POPアイドルを見て「日本のカネを取りに来やがって、韓国人は気持ち悪い」と言ったり、韓国大統領選挙や慰安婦問題のニュースを見て「いちいちうるさい文句をつけてくる国だ」と吐き捨てるように言ったりする人だから。韓国語を勉強している人の前で祖父がわざわざ「韓国は嫌いだ」と言うのを初めて聞いたとき、私はとても驚いたし傷ついた。(いつも私はK-POPに励まされているし、いつか韓国を旅行してみたいと思っている)

 

幼い頃には、終戦当時の雰囲気や戦後の暮らしに苦労したエピソードをいくつか話してもらったことがあった。祖父は自他に厳しく秩序や学問を大切にする、私の知る限りでは親戚中ではほとんどいちばんくらい「まともな大人」「知識人」だった。

幼少期に戦争を体験した祖父だからこそきっと反戦や世界平和の思想を持っているのだろうと私は信じていたし、大日本帝国が韓国をはじめアジアの国々に対して行った侵略についても当然反省的な姿勢だと思い込んでいた。そして権力や国家とその国で生きる個人は同じではないということもきっと弁えている人だと思っていたし、人種や国籍を理由に誰かを憎んだりする人ではないとも信じていて、だからこそ尊敬していた。

なのに、今の祖父はそれとは真逆のところにいる。

祖父は同様にトランプのことも習近平のことも嫌いだが、アメリカや中国という国家権力だけでなく"アメリカ人"や"中国人"も嫌いだし、"アメリカの文化"や"中国の文化"もひっくるめて嫌いなようである。

私が中国籍の人と仲良くしていると「共産党のスパイかもしれないから、深入りするな」と真面目にアドバイスをくれる。

どうしてこうなってしまったのだろう。私もいずれ、こうなるのだろうか?

 

ロシアでは、テレビ以外にも情報源のある人と、テレビだけを見ている人とで、侵攻への捉え方が違うらしい。つまり傾向としてみれば、インターネットをリテラシーをもって使えるか、そうでないかで自国の政治情勢に対する意見が食い違うことが起こっているのかもしれない。いや、そんな簡単なことじゃない。なんでこんなことになった?って気持ち。

 

わかりやすく言えば、「話が通じない」のだ。話が通じないことが続くと、「通じさせたい」「伝えたい」「わかりたい」と思っている限り、心が疲弊する。わかち合いたいと願っているのに、わかち合うどころか傷ついていくのだ。そして私たちの会話は減り、お互いが、あるいはどちらかが口を閉ざし、聞かなかったふりをする。その頃には「わかり合いたい」という気持ちもないのだろう。

それでもせめてもの抵抗として、食卓にキムチを出してみる。祖父は「朝鮮漬けだ、懐かしいな」と言ってパクパク食べている。私は、孫がレズビアンかもしれないのだと知ったら祖父はどんな反応をするだろうと想像して、やめる。やめておく。かなしいきもちになる。祖父はずっと選挙では、教会や連盟に入っている自民党の議員に投票している。この家を出たい、と漠然と思う。