うちの好きなクィア・フェミニズムブックその1

 人生で初めて読んだ漫画。
 最終回まで腐れ縁でずっと一緒にいるハムテルと二階堂をみてほっとしたのを覚えている。結婚もせず恋人は作らず院で研究するファッション派手派手おねえさんの菱沼さん。着物姿で猫を撫でながら酒を煽るタカ。ちゃおでも花ゆめでもりぼんでも、女の子はみんな恋をしなきゃいけない少女漫画の世界がおもしろくなかった私にとって、恋をしていない女性キャラクターとゆうのが(そして女を必要としていない男二人が)珍しかったし、共感できるロールモデルでもあったとおもう。
 
レズビアンである、ということ』
 女友だちへの重すぎる巨大感情に押しつぶされそうになったとき読んだ本。レズビアンかどうか、今でもはっきり言える自信はないけれど、女を愛する女がどうやら自分以外にもいるらしいとわかって泣きながら読んだ。女性として受ける差別、同性愛者として受ける差別、二重の苦しみの中でレズビアンだと名乗りをあげることはしんどいんだけど、こうして宣言してくれる本があることに強く揺さぶられた大学時代の一冊。
 
レズビアンアイデンティティーズ』堀江有里
レズビアン」という生き方は、異性愛主義、婚姻制度、戸籍制度、天皇制、資本主義、男性中心主義、それら全てに抵抗すること。マイノリティは不可視化され、「いないもの」として社会は回る。だからこそ、アイデンティティがなくてはならないのだ。私はここにいる、私たちはここにいる、と。電車で読みながら、そう叫びたくなった一冊。
 
『男でもなく、女でもなく 新時代のアンドロジナスたちへ』蔦森樹
 レズビアンというアイデンティティにいまいち馴染めなかった私が手に取った一冊。トランスジェンダーの個人史でもあり、これも読みながら苦しくて苦しくてずっと泣いた。が、読み終わったあとは、女というジェンダーへの帰属意識もなく、男になりたいわけでもない曖昧な自分を肯定できたし、男女二元論への抵抗を誓った。
 
『血、パン、詩』アドリエンヌ・リッチ
 女はみんなレズビアン。「レズビアン連続体」という概念で有名な作者だけれど、この本は文学界の、言葉の世界の男性主義を静謐に容赦無く切り裂いて血を溢れさせている。当時、短歌や詩、大学での講義やレポートなどの文学や言葉の世界で生きていた私にとって、世界の見え方がすべて変わるような本だった。読んだ後では、読む前には戻れない。批評会で、歌会で、アマチュアで同人でしかなかったけど、文学を読み書きする女として、大学で学ぶ女として感じる、感じても無視してきた痛みや傷のすべてが、ここに言語化されていた。終始泣きながら読んだ。大学で研究をする人や、文学批評をする人は必読だとおもう。
 
 『誰かの理想を生きられはしない とり残された者のためのトランスジェンダー史』吉野靫
 ノンバイナリについて知りたいと思って読んだ一冊。これは闘いの記録だ。読書中、ずっと心が痛み、不条理な特例法や、病理化と脱病理化のせめぎ合い、トランスジェンダーへの無知や無関心に怒りが湧いた。「正しい」トランスジェンダーはいないし、「正しい」ノンバイナリもいない。それならわたしは一体、なんなのだろう?なぜわたしは、わたしを探してしまうのだろう?
 
『愛について』竹村和子
  愛が気持ち悪いと思っていた。それも、この本を読んで理由がわかった。愛は暴力だとはっきり言ってくれる解放力がこの本にはあって、かなり難解であるために、すべてを理解しきれなかったのに、すごく励まされた本だった。なぜセクシュアリティフェミニズムの話にポストコロニアリズムが出てくるのかも、竹村和子を読めばわかる。
 
 
本を読めていた学生時代は本当に贅沢だったな。