一人だな、と思うことが増えた。
一人で生活をする、ということは、自分のことは自分でやらなくちゃいけない、ということだ。掃除洗濯炊事皿洗い、保険料の支払いも車の点検も、ゴミの分別も、自分でやろうと思ってやるしかない。そんなのごくごく当たり前のことなのかもしれないが、学生の頃の私は家事労働を母親に委ね、代わりにその支配下にいた。
私はサボるのが上手く、「お手伝い」の出来ない娘だった。そこそこできた勉強を言い訳に「お手伝い」を回避し、「お手伝い」ができる娘の役を妹に押し付け、「お手伝い」をしなくていい息子のように振る舞い、母親のストレス値をブチ上げた。当然、キレまくる母親の感情のサンドバッグになる。ときに私も母親を精神的に刺しまくる。お互いにキレまくり、死ね殺すと叫び、家族を台無しにする。
私は母親を見て育ち、「母親にはならない」と決めた。
ある意味これも、「母親の呪縛」なのだろうか?
『私ときどきレッサーパンダ』の感動ポイント
その1 母娘の呪縛に明るく向き合ってる
しんどいし、過保護な母親にムカつくしかないんだけど、後半はもう自分の母親の顔が思い浮かんでめちゃ泣いてしまった。「あんな友だちと付き合うのはやめなさい」とか、「わたしはライブなんて行ったことがない!(だからあんたにも行かせない)」とかってセリフ、うちの母親と一緒すぎて涙が出た。
その2 友だちとのシスターフッド
友だちとの連帯が解放に繋がるのがほんとうにシンプルに最高。体型も性格も多様な女性キャラクターがいっぱい出てくる。ありがとう。
その3 オタク文化で育ってる
好きな男の子との夢絵を描いたり、アイドルを追っかけたり、二次創作コミュニティを体験したオタクが作った映画ってかんじでマジで感動。夢イラストや同人誌を親に見られた中学時代、黒歴史と言いがちだけど、今の自分を作ってくれたパワフルで大切な思い出よね。。
その4 アジア人のアイデンティティ
カナダのトロントが舞台なんだけど、中国系の女の子が主人公。自分の誇りでもあり居場所でもあるはずの「家族」に縛られる悩みや葛藤、アジア的な宗教や信仰がディズニーに存在してる。。ってことにも嬉しさがあった。
その5 プリキュアオールスターズみたいなアクション
赤い女たちがみんなレッサーパンダに変身して闘う胸熱展開。ガールズパワー炸裂でめっちゃ泣き笑いになった。たまごっち〜!!!
その6 自分のことは自分で決めていい
「レッサーパンダも自分の一面」だと受け入れて、レッサーパンダを消さないことを選んだメイがほんと〜にかっこよかった。自分は自分。母親は世界の全てじゃないし、別の人間。自分を生きていいんだっていう勇気をもらえた。
で、私は今「ひとりでできるもん」状態である。
家を出て、一人で暮らして、人生について考えることが増えた。友だちは少ないし、母や妹とは生活が合わないし、パートナーもいないし、誰かに遊びに誘ってもらえることはあまりない。かなり一人だと思う。
同級生どころか、後輩ですら結婚し、子どもをもち、家を建てているが、私は植物ひとつ育てることすらできないし、ペットを飼うことも想像できない。
ただ、一人分の稼ぎで、ご飯を作って食べて、ときに外食をしたり好きな映画を観たりする。自分で考えて、決めて、決められなくて、狂いそうになりながら、生活をやっていく、その「ひとりで人生をやる」感覚が私は好きだ。わくわくするし、自分でいられる感じがある。一人で車を運転して気ままに遠くへ行くとき、一人でファミレスに行って好きなものを注文するとき、一人でぼんやり雨の音を聞くとき、私はとても嬉しくなる。そう、嬉しいのだ。誰にも何も言われない、自分で決められるという感覚は、自由で嬉しい。母の顔色を窺わなくてもいい。妹に譲らなくてもいい。我慢しなくていい。ストレスが少ない。
もちろん一人じゃないとも感じている。母や妹や犬は変わらず大切だし、友人たちが大好きだし、職場にいい仲間がいるし、社会や未来のために何か活動をしたいとおもう。
自分のことでいっぱいいっぱいだけど、なんとかなってて、なんとかやっている自分が好きだから、これからもなんとか、なるようになる方に、なんとかしてやっていきたい。(今の気分で希望を述べているだけでそうなる確証はないが)