うちの好きなクィア・フェミニズムブックその1

 人生で初めて読んだ漫画。
 最終回まで腐れ縁でずっと一緒にいるハムテルと二階堂をみてほっとしたのを覚えている。結婚もせず恋人は作らず院で研究するファッション派手派手おねえさんの菱沼さん。着物姿で猫を撫でながら酒を煽るタカ。ちゃおでも花ゆめでもりぼんでも、女の子はみんな恋をしなきゃいけない少女漫画の世界がおもしろくなかった私にとって、恋をしていない女性キャラクターとゆうのが(そして女を必要としていない男二人が)珍しかったし、共感できるロールモデルでもあったとおもう。
 
レズビアンである、ということ』
 女友だちへの重すぎる巨大感情に押しつぶされそうになったとき読んだ本。レズビアンかどうか、今でもはっきり言える自信はないけれど、女を愛する女がどうやら自分以外にもいるらしいとわかって泣きながら読んだ。女性として受ける差別、同性愛者として受ける差別、二重の苦しみの中でレズビアンだと名乗りをあげることはしんどいんだけど、こうして宣言してくれる本があることに強く揺さぶられた大学時代の一冊。
 
レズビアンアイデンティティーズ』堀江有里
レズビアン」という生き方は、異性愛主義、婚姻制度、戸籍制度、天皇制、資本主義、男性中心主義、それら全てに抵抗すること。マイノリティは不可視化され、「いないもの」として社会は回る。だからこそ、アイデンティティがなくてはならないのだ。私はここにいる、私たちはここにいる、と。電車で読みながら、そう叫びたくなった一冊。
 
『男でもなく、女でもなく 新時代のアンドロジナスたちへ』蔦森樹
 レズビアンというアイデンティティにいまいち馴染めなかった私が手に取った一冊。トランスジェンダーの個人史でもあり、これも読みながら苦しくて苦しくてずっと泣いた。が、読み終わったあとは、女というジェンダーへの帰属意識もなく、男になりたいわけでもない曖昧な自分を肯定できたし、男女二元論への抵抗を誓った。
 
『血、パン、詩』アドリエンヌ・リッチ
 女はみんなレズビアン。「レズビアン連続体」という概念で有名な作者だけれど、この本は文学界の、言葉の世界の男性主義を静謐に容赦無く切り裂いて血を溢れさせている。当時、短歌や詩、大学での講義やレポートなどの文学や言葉の世界で生きていた私にとって、世界の見え方がすべて変わるような本だった。読んだ後では、読む前には戻れない。批評会で、歌会で、アマチュアで同人でしかなかったけど、文学を読み書きする女として、大学で学ぶ女として感じる、感じても無視してきた痛みや傷のすべてが、ここに言語化されていた。終始泣きながら読んだ。大学で研究をする人や、文学批評をする人は必読だとおもう。
 
 『誰かの理想を生きられはしない とり残された者のためのトランスジェンダー史』吉野靫
 ノンバイナリについて知りたいと思って読んだ一冊。これは闘いの記録だ。読書中、ずっと心が痛み、不条理な特例法や、病理化と脱病理化のせめぎ合い、トランスジェンダーへの無知や無関心に怒りが湧いた。「正しい」トランスジェンダーはいないし、「正しい」ノンバイナリもいない。それならわたしは一体、なんなのだろう?なぜわたしは、わたしを探してしまうのだろう?
 
『愛について』竹村和子
  愛が気持ち悪いと思っていた。それも、この本を読んで理由がわかった。愛は暴力だとはっきり言ってくれる解放力がこの本にはあって、かなり難解であるために、すべてを理解しきれなかったのに、すごく励まされた本だった。なぜセクシュアリティフェミニズムの話にポストコロニアリズムが出てくるのかも、竹村和子を読めばわかる。
 
 
本を読めていた学生時代は本当に贅沢だったな。

ひとり活動と、私ときどきレッサーパンダ

 

 一人だな、と思うことが増えた。

 一人で生活をする、ということは、自分のことは自分でやらなくちゃいけない、ということだ。掃除洗濯炊事皿洗い、保険料の支払いも車の点検も、ゴミの分別も、自分でやろうと思ってやるしかない。そんなのごくごく当たり前のことなのかもしれないが、学生の頃の私は家事労働を母親に委ね、代わりにその支配下にいた。

 私はサボるのが上手く、「お手伝い」の出来ない娘だった。そこそこできた勉強を言い訳に「お手伝い」を回避し、「お手伝い」ができる娘の役を妹に押し付け、「お手伝い」をしなくていい息子のように振る舞い、母親のストレス値をブチ上げた。当然、キレまくる母親の感情のサンドバッグになる。ときに私も母親を精神的に刺しまくる。お互いにキレまくり、死ね殺すと叫び、家族を台無しにする。

 私は母親を見て育ち、「母親にはならない」と決めた。

 ある意味これも、「母親の呪縛」なのだろうか?

 

 『私ときどきレッサーパンダ』の感動ポイント

その1 母娘の呪縛に明るく向き合ってる

 しんどいし、過保護な母親にムカつくしかないんだけど、後半はもう自分の母親の顔が思い浮かんでめちゃ泣いてしまった。「あんな友だちと付き合うのはやめなさい」とか、「わたしはライブなんて行ったことがない!(だからあんたにも行かせない)」とかってセリフ、うちの母親と一緒すぎて涙が出た。

 

その2 友だちとのシスターフッド

 友だちとの連帯が解放に繋がるのがほんとうにシンプルに最高。体型も性格も多様な女性キャラクターがいっぱい出てくる。ありがとう。

 

その3 オタク文化で育ってる

 好きな男の子との夢絵を描いたり、アイドルを追っかけたり、二次創作コミュニティを体験したオタクが作った映画ってかんじでマジで感動。夢イラストや同人誌を親に見られた中学時代、黒歴史と言いがちだけど、今の自分を作ってくれたパワフルで大切な思い出よね。。

 

その4 アジア人のアイデンティティ

 カナダのトロントが舞台なんだけど、中国系の女の子が主人公。自分の誇りでもあり居場所でもあるはずの「家族」に縛られる悩みや葛藤、アジア的な宗教や信仰がディズニーに存在してる。。ってことにも嬉しさがあった。

 

その5 プリキュアオールスターズみたいなアクション

 赤い女たちがみんなレッサーパンダに変身して闘う胸熱展開。ガールズパワー炸裂でめっちゃ泣き笑いになった。たまごっち〜!!!

 

その6 自分のことは自分で決めていい

レッサーパンダも自分の一面」だと受け入れて、レッサーパンダを消さないことを選んだメイがほんと〜にかっこよかった。自分は自分。母親は世界の全てじゃないし、別の人間。自分を生きていいんだっていう勇気をもらえた。

 

 で、私は今「ひとりでできるもん」状態である。

 家を出て、一人で暮らして、人生について考えることが増えた。友だちは少ないし、母や妹とは生活が合わないし、パートナーもいないし、誰かに遊びに誘ってもらえることはあまりない。かなり一人だと思う。

 同級生どころか、後輩ですら結婚し、子どもをもち、家を建てているが、私は植物ひとつ育てることすらできないし、ペットを飼うことも想像できない。

 ただ、一人分の稼ぎで、ご飯を作って食べて、ときに外食をしたり好きな映画を観たりする。自分で考えて、決めて、決められなくて、狂いそうになりながら、生活をやっていく、その「ひとりで人生をやる」感覚が私は好きだ。わくわくするし、自分でいられる感じがある。一人で車を運転して気ままに遠くへ行くとき、一人でファミレスに行って好きなものを注文するとき、一人でぼんやり雨の音を聞くとき、私はとても嬉しくなる。そう、嬉しいのだ。誰にも何も言われない、自分で決められるという感覚は、自由で嬉しい。母の顔色を窺わなくてもいい。妹に譲らなくてもいい。我慢しなくていい。ストレスが少ない。

 

 もちろん一人じゃないとも感じている。母や妹や犬は変わらず大切だし、友人たちが大好きだし、職場にいい仲間がいるし、社会や未来のために何か活動をしたいとおもう。

 自分のことでいっぱいいっぱいだけど、なんとかなってて、なんとかやっている自分が好きだから、これからもなんとか、なるようになる方に、なんとかしてやっていきたい。(今の気分で希望を述べているだけでそうなる確証はないが)

どこにでもよくいるノンバイナリのとある一日

 

 生まれる性別を間違えた。そう思いながら車を走らせる。だからと言って、今さら男になれる気もしない。完全な男になりたいとも思わない。

 「あんたは賢いから男の子だったらよかったけど、男の子だったら、パパにもっと酷く殴られていたからあんたが女の子で生まれてくれてよかったよ」と母親に言われた子どもの頃の記憶がふと蘇る。そんな理由で「女の子でよかった」と思うほどバカではない。

 仕事でも遊びでも、「男性」はわたしを「女の子」として扱う。「女性」はわたしを「女の子」として仲間扱いする。アクセルを踏めば車はわたしの意思の通りに速度を上げる。「女性」というジェンダーへの帰属意識のないままに、「男性」ではない身体で、わたしの性別はどこにあるのだろう。慌てて速度を落とす。

 わたしは、「わたし」という一人称を使うことすらしっくり来ないくせに、大学の時、「女性」になろうとしていた。髪を伸ばし、スカートを履き、KPOPアイドルの女の子のようなアクセサリーをつけて、女の子になろうとしていた。赤いリップをつけて、定まらない自分のセクシュアリティレズビアンだと仮定し、「女の子」を、「女性」を好きになろうとした。

 今から思えば、服を選ぶ時間も、化粧をする時間も、コスプレのような感覚だった。

 中学生のときの、鮮烈な記憶がある。体育会で、創作ダンスと、フォークダンスを踊った。体育は男女別修だった。わたしは、女性の列に割り振られ、女性の振り付けを習った。そこで不思議な現象が起こった。ダンスの練習のたびに、身体から血の気が引き、手足が冷たくなり、頭が真っ白になるのだった。

 創作ダンスに使われる異性愛ソングも、かわいいハートのポーズも、鑑賞者として、踊りたくて踊っている人たちを見る分にはどうでもよかった。が、そこに当事者として、演者として放り込まれるということは、また別なのだった。わたしは、何の違和感もなく「女の子」をできる女の子たちが羨ましくて仕方がなかった。呑気に踊る「男の子」たちに憎しみすら覚えた。どうすればああなれるのだろうと考えもした。

 幸い、わたし以外にもそうした「女の子」はいるものだ。「オタクインキャだから踊れねー」「盆踊りなら踊れるのに」ということにして、体育の間は端っこの方で、おしゃべりに興じた。「女の子」として割り当てられた役割が嫌だったからか、単にダンスが苦手だったからか、ノンバイナリーだからなのか、それは人によるのだろうけれど。

 男子との合同練習の日には、男女ペアで手を繋いで入場させられる。思春期には気まずい時間だったから、みんな指先だけ繋ぐとか、触って悲鳴を上げるとか、はなから手を引っ込めておくとか、謎の行動をしていた。ブスと手を繋いでも、美人と手を繋いでも、「男の子」たちは騒いだ。相手を人間ではなく、異性として見てジャッジを下すその時間が、わたしを「女の子」であるという恥ずかしさへ突き落とした。誰とも手なんて繋ぎたくなかった。

 (学校生活において「女性」に「なる」過程を思い出すたび、それが恥であり自信を失うような気分になるのは本当に意味がわからないと思う)

 しかし、わたしは隣の「男の子」ときちんと手を繋ぐことにしていた。そこで手を繋がず、恥じらってみせるということは、わたしにとって、わたしが「女の子」であることを認めることと同義だったからだ。

 なのに、相手の「男の子」は恥ずかしがった。「おまえは女子じゃけん」わたしは終始、隣の身体が羨ましくて仕方がなかった。同じになりたかった。同時に、どちらでもないものになりたかった。フォークダンスの円の外に出たかった。いわゆる中二病だった鋭敏な文学少女の感性がわたしを突き動かし、真っ黒のマジックで、クラスTシャツに「人間失格」と書かせた。ちなみに背中には、クラススローガンの「絆」が書かれていた。

 体育の時間はおしゃべりをして、放課後の自主練習は全てサボったおかげで、本番のダンスはメチャクチャだった。胸元にデカデカと輝く「人間失格」の文字を見て、フォークダンスの相手は顔を引き攣らせていた。担任の先生は少し戸惑った顔をして、そのあと満面の笑みで「太宰治じゃん!?いいね、さすがよく知っとるね」と言ってくれた。わたしはこの先生を恩師と仰いでいる。

 

 思い返せばあれも些細な抵抗の一つだったとわかる。わたしは就職をして1年目の夏に、長かった髪をさっぱりと短く切った。職場は10年前と大して変わらず、男女二元論と異性愛規範の巣窟だった。2年目の夏には、大量のメンズ服を買い、それを着ることにした。KPOPアイドルはナムジャの楽曲を聴くようになり、彼らのファッションを真似するようになった。眉は濃い目に引くし、アイラインはうっすらとさせるだけで、ラメはつけない。顎をシャープに見せたくてシャドウを入れる。インスタではメンズのヘアセットをブックマークし、外に出れば厚底靴を履く。理想のシルエットになりたくて、ナベシャツを買った。

 スカートを履く女も男もノンバイナリもいていいし、ジェンダーと性表現は別物だということは、わかっている。スカートを履かないと決めたわけではないが、今は、履くと猛烈な違和感に襲われる。キラキラしたリボンやレースは大好きだ。ジュエリーを愛してやまないし、コスメもついつい買ってしまう。休みの日は一人称を「ぼく」にして過ごす。そのことをこうして書いてしまう。

 

 「自分を記号に当てはめようとしているように見える」「"発信"しすぎではないか」と友人に言われた。そう見えるのならば、たぶん、そうなのだろう。

 ただ、わたしはこれまで、割り当てられたくもない望んでいない記号の中に押し込められてきた。その苦しみや痛みを、誰に聞いてもらうでもなくネットの海に放流させている。そりゃ読まれたら嬉しいけど、べつに読まれなくてもいい。そもそも、データやインプレッションを見れば、読んでいる人がほとんどいないことくらい知っている。政治的にうるさい「ノイズ」として扱われたように感じて、かなしかった。そしてそれがあくまで「友人としての心配」の皮を被った言葉だったのでむかついた。

 「あなたのため」を装った言葉が、どんなに政治的で、鋭利なナイフであるか。わたしは傷つきもしたが、立ち直り始めている。一人でドライブをして、一人でパンを買い、一人で景色を見て、一人で婦人科に行き、一人で楽しい。歳をとったとしても、一人であっても、楽しくやっていきたい。

今年度を振り返る

 もうすぐ年度末だ。

 今年度は、激しく激しく、自分の内側と向き合わなければならない一年だった。一言で言えば、苦しかったのだと思う。客観的に見れば、苦しいだろうなぁと思うのに、苦しかったことを認めたくない自分がいる。

 仕事では、またみんなの前で泣いた。1回目は、新卒の時、出張中に自損事故をして泣いた。2回目は、1年目の終わりの送別会で大泣きした。今思えば、先輩たちとの別れが辛かったのではない。部署の雰囲気が最悪すぎて、意地の悪い先輩がいて、1年間我慢していた何かが、送別会という緊張感の中で決壊して、泣いた。

 2年目の今度は、パワハラで泣いた。わたしの部署の上司はザ・体育会系なのだ。わたしを「おい」と呼ぶ。仕事ができないしコミュニケーションがへたくそなくせにめちゃくちゃ偉そうなのだ。しかも、自分より立場の弱い相手を選んで無自覚にモラハラをするタイプの卑怯者だ。

 わたしはまた「おい」と呼ばれて、「聞こえてないのか」と荒い口調で言われて、もうだめだった。殺される、という感覚が蘇ってくる。先にじわじわと精神が殺され、やがて身体が殺される予感だ。お前は弱い、お前が悪い、お前は甘えている、という声だ。殺されるくらいなら殺してやる、という恐怖だ。

 110を押すとき、指が震えた。「どうしましたか」と聞かれて「何でもないんです」「来ないでください」と支離滅裂に繰り返す自分の声が、身体が、別のもののように思えた。秋が終わり、冬が近づいた頃のことだった。ちょうど、わたしが家出をしたのもこの季節だった。

 わたしの涙は退勤するまで止まらなかった。みんなの前でひどく泣きながら仕事に戻ろうとする様を、可哀想だと思った人もいただろうし、生意気だと思った人もいたかもしれない。「フラッシュバックだねぇ」事情を知るおばちゃんたちに慰められた。「そうなんです、ちょっとフラッシュバックしちゃって、感情が、止まらなくて」

 そうか、これがフラッシュバックなのか。わたしは自分の言葉にハッとして、驚いた。父親のことを思い出して昼でも夜でも涙が出たり、誰かが帰ってくる車の音や玄関の鍵を開ける音を聞くたびに吐き気がしたりすることは、よくあることだったからだ。わたしは自分が「トラウマ」による「フラッシュバック」に苛まれているという事実に打ちのめされ、さらに泣いた。

 父親がどんな人だったか、あまり思い出せない。思い出そうとすると、頭に靄がかかったようにぼんわりする。もともと、家に帰って来ない人だった。母親が病気になった時でさえまともに帰って来なかった。何か、彼なりの事情があったのだろうが、帰ってきたところで、もはや知らない他人だった。アルコールに浸かった体臭と、赤黒くなった肌、血走って濁った目と、痩せぎすなのにぶよぶよした背中、白髪混じりの薄くなってきた頭。怒鳴り声。

 それでも、覚えていることがある。与島のパーキングエリアに行ったときのことだ。海の見える公園は冷たい風が吹いていた。まだ歩き始めたばかりの下の妹は、寒かったのだろう、くしゃみをした。びろんと鼻水が出て、妹はそれを手で拭おうとした。わたしは母親のところへ、ティッシュをもらいにいこうとした。そのとき、父親が、ズボンのポケットから、アイロンのかかった綺麗なハンカチを取り出し、迷わず妹の鼻水を拭ったのだ。「汚いよ」わたしはそう言った。父親は、鼻水のたっぷりついたハンカチをしまいながら、すかさず「汚くないよ」と言い切った。「洗えば落ちるよ」とも言った。

 わたしはその瞬間、父親を、父親だと思った。「アイロンをかけたのもママだし、どうせハンカチを洗うのはママじゃん」とも思ったが、信頼に近い、父親に対する尊敬のようなものを感じたのは、後にも先にもそのときだけだった。

 その父親とは、家出をして以来、会っていない。連絡先を消した。これでよかったのだと思う。お互いに。生きているうちに会うことはもう二度とない。葬式にすら、行かないではなく、行けないかもしれない。両親は離婚し、私は職と自分だけの部屋を得て、法的にも、経済的にも、縁は切れた。

 なのに、感情だけが切れない。

 母親や妹たちと団欒のときを過ごすとき、なぜわたしは「ごめんなさい」と言いたくなってしまうのか。お盆や年末に、なぜ、父親がいたときのメニューやルーティンを思い出して心が痛んでしまうのか。今、父親は一人ぼっちで過ごしているのだろうかと、なぜ想像してしまうのか。

 どうして、いなくなったのに、わたしを苛むのか。自由になったはずなのにどうして、わたしは、解放されていないのか。

 記憶を消したい。父親に関することすべてを、なかったことにしたい。わたしは母親からだけ、単性生殖で生まれてきたことにしたい。いや、無から生まれてきた。

 「家族」は一番近い、一番大事な存在のはずだった。わたしは「家族神話」の登場人物だった。「家族」だったはずのものを、わたしは自分の手で切り離した。解体作業をすると、当然、血が溢れる。わたしも「家族」の一員だったから、その作業は自分を千切るようでもあった。それすら、なかったことにしようとした。

 わたしは自分の足で檻を出たつもりだったが、それは同時に、母親から夫を、妹たちから父を、奪うことだった。奪う、などと言うことすら、傲慢かもしれない。だって、母も、妹たちも、自分の意思があって、わたしのためだけにそうしたのではないのだから。

 わたしのせいだ、とヒロイックになりたいだけなのだろうか。わたしのせいかもしれないけれど、わたしは父親に償う気はないし、そんなことはする必要も意味もない。ただ、妹のために何ができるかをずっと考えている。

 

 そうして、ただ「なかったことにしたい」という疲労と、「なかったことにできる」という諦念が、わたしを襲ってくる。どんな相手と出会っても、終わりを予感してしまう。合わないところを探してしまう。暴力の片鱗を、相手の中にも、自分の中にも探してしまう。疑うのをやめたい。楽になりたい。

 楽になりたい。

 

イリチルのライブに行ってきた

 

 京セラドーム大阪。先行で当たった。席は一番端っこの方だったけど、フォーメーションがよく見えて満足だった。双眼鏡を使えばメンバーの表情も見えた。

 Bluetoothとペンライトの接続がわからなくて隣の人に助けてもらう。隣の人は掛け声をよく覚えてきていて、わたしはうろ覚えだったのでとても助かった。

 とにかく叫んだ。イリチルはもう9年目?ファンダムは落ち着いていて、ボード芸も年季が入っている雰囲気だった。ファンとファンの、ファンとアイドルの連帯が感じられるライブだった。

 ライブでは、うちわやスケッチブックにメッセージ書いたボードがカメラに抜かれる。メンバーのセンイルや帰郷を祝った、心温まるメッセージが多かった。けれど中には、「◯◯のチョコレート(乳首)食べたい!」「◯◯の腹筋で筋膜リリースしたい」「胸筋揉ませて」といったセクシュアルなメッセージがあって、背中に氷を落とされたようにげんなりしてしまう。

 これがハラスメントでなくて何だろう。メンバーたちも、アイドルという職業だから、恋愛感情や性的欲望を向けられることは承知の上で、ライブでは筋肉美を披露したりもするが、「アイドルだから欲望をぶつけても許される」というのがわたしは許せない。そしてそれをカメラで抜いて、大画面に映して、「ネタ」にする運営を批判する。

 

 ライブの終わり。

 ユウタヒョンが「ライブでパフォーマンスしてファンに会って、擦り切れていた心の部分が埋まるような気がした」ドヨちが「あの頃の僕らはまだ未熟だったけど、皆さんのおかげで成熟できた」テヨンさんが「イリチルは青春」と振り返った。

 ファンからしたら考えつかないような「擦り切れ」があるのだろう。その「青春」も「成熟」もK-popアイドルという経験の内側のものであって、得たものと同時にこの人たちが捨てたものや引きずるものの重さにどうしようもなくしんどくなる。なのに、彼らが輝いて見えてしまう。それは本当に輝きなのでしょうか。

 こんな疑問を抱くことすら、彼らに失礼な気がして、失礼だと恥入ってみせる自分すらなんだか道化めいて感じられる。

 

 帰り際、もう片方の隣の人とお喋りした。よかったよね、また来たいですね。ただその場を共有したもの同士として、言葉にならない高揚を落ち着かせる。

 「明日への糧にして」確かユウタさんがそんなことを言っていた。ステージの明るいところも、暗いところも、糧にしなければならない。観客だから、ファンだから。

LGBTという何か 自分らしさに中指を立てる トランス差別に反対する

 

 こんなのどうですか?と差し出された書類のタイトルが『多様性を知る〜LGBTについて』だったのどうにかしてほしいと思わない?

 

 「LGBTは社会に(虫食い)割!」と書いてあるワークシートを見つめて、私は気が遠くなる。私は「LGBT」じゃない。何回もすでに誰かが言ってることだろうけど。「LGBTの人」なんていう生き物はどこにもいないだろう。

 LGBTの話をいきなりするとみんなが引くかもしれないからまずは男らしさ女らしさのジェンダーの話からしましょうか、と上司が言う。何か喉につっかえたような気持ちになりながら、私は何も言うことができない。うまく言葉にできなくて、そうですね、と言ってしまう。

 男らしさ女らしさじゃなくて「自分らしさ」なんだね、と教材動画の中で子役が喋っている。自分らしさ? 「LGBT」は「自分らしく」生きていることを求められる。「自分らしく」「輝く」何のために?正直、意味がわからない。意味がわからないまま教えないといけない。私はそんなこと教えるつもりはない。

 LGBTは個性じゃない。輝くもなにも、普通に生活できればそれでいい。レズビアンであること、ゲイであること、バイセクシュアルであること、トランスジェンダーであること、それぞれは単なる名前のラベルではなく、その人のアイデンティティであり、LGBTQ+というのはコミュニティのことであり、大きな傘の中の連帯のことではなかったか。主体性や歴史性を失ったLGBTという言葉の中の空虚になんとなく当てはまられて、的外れな議論で注意をそらされるのが本当に苦痛でしょうがない。

 

 そもそも多様性を知りたいなら、一つの集団の中にも十分な多様性はあるし、LGBTに絞らなくたって人種や宗教、家族、職業、習慣、健康……みたいになんだってあるのに、他のものとは絡めずにLGBT LGBTと呪文のように言っているのが意味不明。そんなに唱えてもあなたの多様性は増えません。

 

 もっとめんどうなのが「おじさん」たちだ。会社の中でもかなりの人数を占める彼らはもちろん全員ではないが一部にはこういう意地の悪いことを言ってしまう人がいる。「LGBTはいいよな、主張ばっかりして」という主張や「LGBTの数が増えたのはなぜか」「インターネットが発達して少数派でも意見を言いやすくなったからだ」「いい時代になったのかどうなのか、デカい声で騒ぐ奴が勝つんだよな」という嫌味、「LGBTがわからん、ついていけない、と言うとこっちが差別者扱いされる!やりにくい!」というちんぷんかんぷんな怒り。お門違いだ!と大声で怒鳴ってデスクをひっくり返してやりたい。「LGBT」が出しゃばって「自分たちを否定してくる」とでも言いたげなこのよくあるやりとりにはうんざりする。社会の構造の話をしているのであって、そして今生死をかけて生き延びようとしている人たちのために何ができるかを話しているのであって、お前の話はだれもしていない。見ようとしない、知ろうとしないだけで、私は(私たちは)ずっとここにいる。耳を傾けるってそんなにたいへんなこと? 

 「女の服を着てもよいが周囲に対する説明責任がある(カミングアウトの強制、そしてなぜ当事者ばかりに説明させようとするの?)」

「特別扱いはできない、本当に困っているなら助けてやる(さも自分にジャッジの権利があるかのような勘違い)」

「男になりたいなら男らしくしろ、でももし戻りたくなったらどうするのか(バイナリな抑圧、流動性の否定)」

 そんなのはもういらない。実際に否定して差別しているのはどちら側なのか。「俺たちの今まで」を振り翳し「特権性」を顧みることなく被害者ぶるのは本当に迷惑だし、差別心の表れだろう。めんどうくさいし、卑怯だ。巧みに論点をずらして、実現されれば誰にとっても良いことを論じないのはどうして? と聞きたいけれど、それにもまた真面目に取り合わないのだろうか。それはトランス差別だ、って言っていい?

 私は闘い方が知りたい。

ひとりってなんだろう

 

 サイゼリヤって深夜にドリンクバー頼んで友だちとダラダラ喋って解散するところらしいとはインターネットや本を読んで知っていたけど、集まれる友だちもいなければ夜中まで出歩く元気もなく、そもそも周辺の店は夜になるとコンビニ以外閉まる、サイゼのサの字もないところに住んでいたので憧れだけちょっとあった。

 仕事の都合で別の町に引っ越して、職場から家までの通勤路にあった。サイゼが。この町のサイゼはいつ見てもバイト募集の旗が立っている。仕事帰りの週末、私はサイゼのドアを叩いた。いや叩いてないけど、たのもー!って気持ち。他のサイゼを知らないので私にとってはここが親のようなサイゼ。週末だからか家族連れが多い。大学生や高校生もたくさん連んでいた。ひとりです、と言ってデカいボックス席に案内される。メニューは安いのか高いのかわからないけど空港で食べたロイヤルホストよりはるかに安いから安いのだたぶん。

 

 カルボナーラは美味しかったし、水も飲んだけどドリンクバーは頼む気になれなくて、頬杖をついて店内のざわめきに耳をすませていた。本を読んだりパソコンをしたりしてわりと長い間ぼんやりしていたけれど何も言われず、誰も私に関心を払っておらず快適だった。

 

 仕事わしていると頭を空っぽにするだけで休日が終わってしまう。たまに休日があっても何をしていいかわからなくなってくる。大学生のうちに友だちと来ておけば青春だったかもしれないけど、私にとってのサイゼは仕事帰りにひとりでぼんやりするところになった。高校と大学時代を思い出す。文学が好きだった。短歌や詩をぽつぽつと作っていた。楽しかったはずの文学も向いてなかったし続けられなかったなと思うばかりで、今はむしろ嫌いだ。文学をしているような特権性や誤魔化しや言い訳や自己陶酔や余裕が嫌いだ。文字もうまく書けない、家に本が一冊もない、ひらがなしか読めないような人たちと接するようになった。自分はただ運が良かっただけのように思う。別にその人たちの運が悪いわけでもない。

 BLは変わらず好きだけど、前のような熱意はなくて、むしろただただ消費されていく同性愛表現や現実の政治には関心のないファンダムや出版社を見るとたまにしんどい。女が当て馬にされたりホモソーシャルだったりするBLもめんどくさい。私が書きたいと思うけど、なんか頭が働かない。

 

 実家にも帰りづらくて、ふらっと集まったり電話したりできる友だちもいなくて、SNSで交流する気力も勇気もなくて、イベントに出かける時間とお金もあんまりない。ひとりで生きることには満足している。