今年度を振り返る

 もうすぐ年度末だ。

 今年度は、激しく激しく、自分の内側と向き合わなければならない一年だった。一言で言えば、苦しかったのだと思う。客観的に見れば、苦しいだろうなぁと思うのに、苦しかったことを認めたくない自分がいる。

 仕事では、またみんなの前で泣いた。1回目は、新卒の時、出張中に自損事故をして泣いた。2回目は、1年目の終わりの送別会で大泣きした。今思えば、先輩たちとの別れが辛かったのではない。部署の雰囲気が最悪すぎて、意地の悪い先輩がいて、1年間我慢していた何かが、送別会という緊張感の中で決壊して、泣いた。

 2年目の今度は、パワハラで泣いた。わたしの部署の上司はザ・体育会系なのだ。わたしを「おい」と呼ぶ。仕事ができないしコミュニケーションがへたくそなくせにめちゃくちゃ偉そうなのだ。しかも、自分より立場の弱い相手を選んで無自覚にモラハラをするタイプの卑怯者だ。

 わたしはまた「おい」と呼ばれて、「聞こえてないのか」と荒い口調で言われて、もうだめだった。殺される、という感覚が蘇ってくる。先にじわじわと精神が殺され、やがて身体が殺される予感だ。お前は弱い、お前が悪い、お前は甘えている、という声だ。殺されるくらいなら殺してやる、という恐怖だ。

 110を押すとき、指が震えた。「どうしましたか」と聞かれて「何でもないんです」「来ないでください」と支離滅裂に繰り返す自分の声が、身体が、別のもののように思えた。秋が終わり、冬が近づいた頃のことだった。ちょうど、わたしが家出をしたのもこの季節だった。

 わたしの涙は退勤するまで止まらなかった。みんなの前でひどく泣きながら仕事に戻ろうとする様を、可哀想だと思った人もいただろうし、生意気だと思った人もいたかもしれない。「フラッシュバックだねぇ」事情を知るおばちゃんたちに慰められた。「そうなんです、ちょっとフラッシュバックしちゃって、感情が、止まらなくて」

 そうか、これがフラッシュバックなのか。わたしは自分の言葉にハッとして、驚いた。父親のことを思い出して昼でも夜でも涙が出たり、誰かが帰ってくる車の音や玄関の鍵を開ける音を聞くたびに吐き気がしたりすることは、よくあることだったからだ。わたしは自分が「トラウマ」による「フラッシュバック」に苛まれているという事実に打ちのめされ、さらに泣いた。

 父親がどんな人だったか、あまり思い出せない。思い出そうとすると、頭に靄がかかったようにぼんわりする。もともと、家に帰って来ない人だった。母親が病気になった時でさえまともに帰って来なかった。何か、彼なりの事情があったのだろうが、帰ってきたところで、もはや知らない他人だった。アルコールに浸かった体臭と、赤黒くなった肌、血走って濁った目と、痩せぎすなのにぶよぶよした背中、白髪混じりの薄くなってきた頭。怒鳴り声。

 それでも、覚えていることがある。与島のパーキングエリアに行ったときのことだ。海の見える公園は冷たい風が吹いていた。まだ歩き始めたばかりの下の妹は、寒かったのだろう、くしゃみをした。びろんと鼻水が出て、妹はそれを手で拭おうとした。わたしは母親のところへ、ティッシュをもらいにいこうとした。そのとき、父親が、ズボンのポケットから、アイロンのかかった綺麗なハンカチを取り出し、迷わず妹の鼻水を拭ったのだ。「汚いよ」わたしはそう言った。父親は、鼻水のたっぷりついたハンカチをしまいながら、すかさず「汚くないよ」と言い切った。「洗えば落ちるよ」とも言った。

 わたしはその瞬間、父親を、父親だと思った。「アイロンをかけたのもママだし、どうせハンカチを洗うのはママじゃん」とも思ったが、信頼に近い、父親に対する尊敬のようなものを感じたのは、後にも先にもそのときだけだった。

 その父親とは、家出をして以来、会っていない。連絡先を消した。これでよかったのだと思う。お互いに。生きているうちに会うことはもう二度とない。葬式にすら、行かないではなく、行けないかもしれない。両親は離婚し、私は職と自分だけの部屋を得て、法的にも、経済的にも、縁は切れた。

 なのに、感情だけが切れない。

 母親や妹たちと団欒のときを過ごすとき、なぜわたしは「ごめんなさい」と言いたくなってしまうのか。お盆や年末に、なぜ、父親がいたときのメニューやルーティンを思い出して心が痛んでしまうのか。今、父親は一人ぼっちで過ごしているのだろうかと、なぜ想像してしまうのか。

 どうして、いなくなったのに、わたしを苛むのか。自由になったはずなのにどうして、わたしは、解放されていないのか。

 記憶を消したい。父親に関することすべてを、なかったことにしたい。わたしは母親からだけ、単性生殖で生まれてきたことにしたい。いや、無から生まれてきた。

 「家族」は一番近い、一番大事な存在のはずだった。わたしは「家族神話」の登場人物だった。「家族」だったはずのものを、わたしは自分の手で切り離した。解体作業をすると、当然、血が溢れる。わたしも「家族」の一員だったから、その作業は自分を千切るようでもあった。それすら、なかったことにしようとした。

 わたしは自分の足で檻を出たつもりだったが、それは同時に、母親から夫を、妹たちから父を、奪うことだった。奪う、などと言うことすら、傲慢かもしれない。だって、母も、妹たちも、自分の意思があって、わたしのためだけにそうしたのではないのだから。

 わたしのせいだ、とヒロイックになりたいだけなのだろうか。わたしのせいかもしれないけれど、わたしは父親に償う気はないし、そんなことはする必要も意味もない。ただ、妹のために何ができるかをずっと考えている。

 

 そうして、ただ「なかったことにしたい」という疲労と、「なかったことにできる」という諦念が、わたしを襲ってくる。どんな相手と出会っても、終わりを予感してしまう。合わないところを探してしまう。暴力の片鱗を、相手の中にも、自分の中にも探してしまう。疑うのをやめたい。楽になりたい。

 楽になりたい。