イリチルのライブに行ってきた

 

 京セラドーム大阪。先行で当たった。席は一番端っこの方だったけど、フォーメーションがよく見えて満足だった。双眼鏡を使えばメンバーの表情も見えた。

 Bluetoothとペンライトの接続がわからなくて隣の人に助けてもらう。隣の人は掛け声をよく覚えてきていて、わたしはうろ覚えだったのでとても助かった。

 とにかく叫んだ。イリチルはもう9年目?ファンダムは落ち着いていて、ボード芸も年季が入っている雰囲気だった。ファンとファンの、ファンとアイドルの連帯が感じられるライブだった。

 ライブでは、うちわやスケッチブックにメッセージ書いたボードがカメラに抜かれる。メンバーのセンイルや帰郷を祝った、心温まるメッセージが多かった。けれど中には、「◯◯のチョコレート(乳首)食べたい!」「◯◯の腹筋で筋膜リリースしたい」「胸筋揉ませて」といったセクシュアルなメッセージがあって、背中に氷を落とされたようにげんなりしてしまう。

 これがハラスメントでなくて何だろう。メンバーたちも、アイドルという職業だから、恋愛感情や性的欲望を向けられることは承知の上で、ライブでは筋肉美を披露したりもするが、「アイドルだから欲望をぶつけても許される」というのがわたしは許せない。そしてそれをカメラで抜いて、大画面に映して、「ネタ」にする運営を批判する。

 

 ライブの終わり。

 ユウタヒョンが「ライブでパフォーマンスしてファンに会って、擦り切れていた心の部分が埋まるような気がした」ドヨちが「あの頃の僕らはまだ未熟だったけど、皆さんのおかげで成熟できた」テヨンさんが「イリチルは青春」と振り返った。

 ファンからしたら考えつかないような「擦り切れ」があるのだろう。その「青春」も「成熟」もK-popアイドルという経験の内側のものであって、得たものと同時にこの人たちが捨てたものや引きずるものの重さにどうしようもなくしんどくなる。なのに、彼らが輝いて見えてしまう。それは本当に輝きなのでしょうか。

 こんな疑問を抱くことすら、彼らに失礼な気がして、失礼だと恥入ってみせる自分すらなんだか道化めいて感じられる。

 

 帰り際、もう片方の隣の人とお喋りした。よかったよね、また来たいですね。ただその場を共有したもの同士として、言葉にならない高揚を落ち着かせる。

 「明日への糧にして」確かユウタさんがそんなことを言っていた。ステージの明るいところも、暗いところも、糧にしなければならない。観客だから、ファンだから。