『跪いて愛を問う』感想 Dom/Subユニバースとは?

 

山田ノノノ,2020,『跪いて愛を問う』,ディアプラス

 

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あらすじ

  • 世界観……人を支配したいDom(ドム)と支配されたいSub(サブ)という「第二の性」を持つ人が存在するバース設定。

  •  受け……正己
    生活のためSub専用クラブでキャストとして働いている高校生。本当はSubだがDomということになっている。
  • 攻め……悠生
    海外から帰国してきた転校生だが、なぜか正己に親しげに話しかけてくる。正己がSubだということも知っている。

 

感想・レビュー(ネタバレ注意です)

 

  •  Dom/Subユニバースそのものへの疑問

     BDSMには「合意の上でのロールプレイ」という前提があります。合意に至るまでには、どんなプレイを望みどんなプレイは望まないか細かく意見をすり合わせ契約書を作ったり、お互いにセーフワードという拒否権をあらかじめ決めておいたりします。 DomとSubの権力関係や命にかかわる行為の危険性について自覚的だからこそ、合意とロールプレイが重要視されるわけです。
     そうしたBDSM文化があるにもかかわらず、DomとSubを「第二の性」として人間を二分し本質化してしまうバース設定には問題を感じます。ロールプレイは役割を演じて楽しむものであって、加虐欲や被支配欲はその人のすべてではありませんし、時に応じて変化することもあると思います。というより、なんでもかんでも萌えの消費にしてしまうオタク文化に対してのモヤモヤといったほうがいいのかもしれません。
     BDSMは、女性(受け)/男性(攻め)=受動/能動的役割というジェンダー構造を支配/服従のロールプレイによってあえて撹乱させるひとつの表現としての側面があると思っています。 Dom/Subを能動的な支配者/受動的な被支配者として、かつそれは「本能」であるので抗えないのだ、というふうにしてしまうDom/Subユニバースは、BDSMと似ているように見えて、むしろ異性愛的な二元論を内面化した構造を持っているのではないでしょうか。


  • 『跪いて愛を問う』の世界観

     Dom/Subの人口は全体の数パーセントらしいですが、支配/服従の関係はそのまま社会の構造に反映されています。
     Subは「人に支配されないと生きられない救いようのない底辺」として差別されています。(Domの悠生が裕福な家庭でSubの正己はネグレクト状態というあたりからも格差が伺えます)しかも「日本ではまだSubに差別的なんだっけ」という悠生のセリフから、現実でも創作でも日本がジェンダーセクシュアリティ後進国であることが描かれています。作中のイギリスでは幼い時から性教育が行われ、DS欲求コントロールの訓練施設とかあるらしいです。

     正己は底辺としてのSubを否定し憎みながら、バイトではDomを演じて他のSubを痛めつける自傷行為に走っているので、読んでいてなかなかつらいです。 Subとしての欲求が満たされず追い詰められるとフェロモンが発動し、それ誘発された暴力や性被害も報告されている。ってえぐい以外のなんでもない設定だよほんとに……逆に支配しないと生きられないDomのほうもよっぽどだと思いますが……
     海外で育った悠生は正しい性知識を身につけており、Subを嫌悪する正己に「Domと Subは対等だよ」と説明します。まあDomで医者の息子で留学してて勉強もできて金持ちの権力側から俺たちは対等だよとか言われても正直???と思いましたが、正己は素直に抑制剤を飲んでいました。
     そしてまあなんやかんやあって信頼の関係になり2人はパートナーになっていく……

     日ごろの態度の悪さから怨みを買っていた正巳は、バイト先で暴力を受けます。Subドロップの状態になった正己に、幼少期の家庭環境のトラウマが蘇ります。正己がSubである自分を否定していた背景には、同じくSubである母親が男たちから暴力を受けている光景を日常的に目にしていたこと、疲弊した母親から虐待とネグレクトを受けていたという過去があったことが明らかになります。 と同時に、そのつらい幼少期、悠生が自分の側にいて助けてくれたことも思い出します。


     ハッピーエンドな作品なのですが、 ハッピーエンドに至るまでが苦しすぎて…… 読んでてかなりつらくてあまりハッピーを感じられなかったので、やはりDom/Subユニバース設定はnot for meなのかもしれません。

 

  •  BLを読んでいていつも感じていること

     
    「2人の男がカップルになる物語」が共通認識としてあるBLは、その過程でトラウマの克服が成長として、トラウマへのケアが恋愛として描かれがちです。
     2人が結ばれることと人間としての成長がごっちゃになっていること。トラウマは往々にして幼少期の家庭環境や性被害の体験にあること。カプが幸せになる物語の味付けとして、DVを受ける母親、毒親としての母親が利用されること。女性が当て馬化されたりフジョシキャラにされたり、酷いときは命が犠牲になったりすること。
     BLがBDSMや同性愛や差別構造を意識して描くなら、女性や子どもや他の人権についてもきちんと意識された上で描かれて欲しい……萌え以外の解像度が荒くなるのオタクの悪いところだよ。BLを読み続けるのは疎外を味わうということでもあって、しかしその疎外のファンタジーを作り出してるのはBL好きな人たち自身なので、永遠にここにいるとヤバいんじゃないかともたまにおもうのですが、それでもまだBLを読んでしまうのは何なんだろう……


     とはいえBDSMの同意部分をかなり取り入れたバース設定でしたし、紳士な悠生もコンプラ重視の令和の攻めというかんじでした。でも給料3か月分の指輪でプロポーズしてたのでちょっと昭和でしたけど……ナチュラルに同性婚第二の性があるからややこしいが)できる世界線の話でした。

     同意が同意がと言っていますが、全部の作品がそうあるべきと言いたいわけではなく、暴力だと認識した上で書かれた暴力をきちんとゾーニングされた環境で読みたいだけなんですよね……BLに限らず書店で全年齢でこういうポルノ的な漫画やグラビア雑誌が買えてしまうの、やっぱりよくないんじゃねーのと思うけど、ネットしてるだけでエロ広告が出てくるので本当に何を断てばいいのか? というか……もっといえばずっと幸せなだけの安心なBDSMのBLを安全に読みたいだけなんですが……というわけで、次はハッピーなBLをレビューしようと思います。