恋愛友情境界不明問題とぴったりの箱

恋愛がわからない。友情がわからない。性愛がわからない。

例えば、強い感情を向け合っている二人がそこにいて――二人の間にあるものが何なのか、説明できる人がいるのだろうか? 既存の言葉で「友達」や「恋人」と説明しているだけで、実は当人たちにすら――わからないのではないだろうか?

親友、ライバル、敵同士……原作の中から、二人の関係性を取り出して弄りまわす。大事な昆虫を解体して観察するみたいに、憧れの人に理想を無理やり押し付けるみたいに、大好きなおもちゃをめちゃくちゃにするみたいに、私は今まで「二次創作BL」という形で、現実には存在しない男たちの感情を夢見てきた(というか前よりは落ち着いたけど、今も!)

大抵の場合、原作の中では、二人は恋愛関係としては描かれていない。ただ、友情(のような何か、あるいはそう表すにはあまりにも大きすぎる何か)、憎しみ(のような何か、あるいはそう表すにはあまりにもやさしすぎる何か)、尊敬(のような何か、あるいは偶像崇拝と踏み絵と背徳)、嫉妬(のような何か、あるいは殺意)、愛情(のような何か、あるいは、そもそも愛って何?)やエトセトラエトセトラが、目を細めたらなんだか見えてくる見えてくる……見える!といった具合に、目覚めるのである。見えないはずのものを見ようとしていると言ってもいい。

なんで見えないの? これはあくまで一つの推測だが、その概念をあらわす言葉がない。その関係性をあらわすモデルがないのだ。でも確かに観測しているのだ、そこにある、見えないのに見える、細分化していった結果の何か。

ところで、世の中で「人間同士の強い結びつき」と「みなされている」ものの一つが、恋愛関係である。というか、ほとんどがそれだ。多くの場合、恋愛は、友情よりも「強いもの」としてみなされる。恋愛は友情よりも優先される。ドラマや映画、数々の物語の中では、冒頭や途中で同性の友達との親密な関係がちらっと描かれるにも関わらず、掘り下げられることはまだ少ない。カメラは友達との親密な関係を捨象し、異性の恋人との関係を一生懸命に映そうとする。

「一人前になるためには、恋の一つや二つ……」「いい年なんだから、そろそろ彼氏/彼女くらいは……」といったかんじで、恋愛は、けっこう、かなり、人生の中で「経験すべきもの」「人を成長させるもの」「素晴らしいもの」として重要視されている(最近はそうでもないのかもしれないけど、まだそういうルールみたいなのは残っている)

恋愛の先には何があるか? 結婚であり、家族である。あるいはそういう、階段を上るみたいな制度である。それらが何のために存在しているか? たぶん、社会や国家の存続のためだろう。本当に登らなくちゃいけない必要な制度なのかは置いといて。

話を戻そう。

見えないはずのものが見えちゃっている私は原作の中から取り出した関係性を、身近な「強い結びつき」である「恋愛関係」の箱に無理やり押し込んだ。これがいわゆるカップリングである。果たして……箱のサイズは合わなかった。二人の関係性をしまい込んで外から眺めるには、あまりにもその箱は小さすぎたし、不透明で歪で、なんか違った。

それにBLカップリングには、恋愛に付随して性愛がくっついてくる。性愛に恋愛がくっついてるのか、それとも友情に性愛がくっついてるのかもうこんがらがってしまってわからないが、ボーイズ・ラブとは男性同士の同性愛を描いた作品だとどこかの百科事典にも載っているし、一次創作でも二次創作でも、多くの場合BLカップリングの二人は恋愛関係として描かれ、当然のセオリーとしてセックスになだれこむ。もちろん、そうじゃない作品だってある。たとえAまでしか描かれないとしても、続きがあるならB、Cへと進むのが異性愛作品でも大抵の流れだろう。

そうなんだー。そこに行きつくのかー。と思うわけである。性器の結合、そしてここがゴールみたいになる。ロマンチック・ラブとセックス・ファンタジーですべては解決される。何ならBLでも結婚することすらある。片方が妊娠することすらある。原作と違うことになってしまう。そりゃそうかもしれませんが、これもまた、なんか違う、となるのです。がっかりすらする。この箱もまた合わなかった……。

いやそもそも原作では恋愛関係じゃないんだから、とかそんなお利口なことを言いたいわけじゃない。「恋愛関係じゃない」という読みも「恋愛関係かもしれない」という読みも、そのどちらでもない読みもあっていい。関係性をその箱に入れて楽しんだ時間は私にも確かにあった。

BLには受け/攻めというセックスポジションが存在する。同じ男性同士の身体でも、そこには能動/受動、支配/被支配(もっと大雑把に言えば女役/男役)という性役割や権力関係がある。BLはあたかも異性愛をなぞっているようだと指摘されることもある。BL愛好者は、現実の異性愛や恋愛や人間関係からの逃走者や脱走希望者として見られることすらある。逃げようとしながらも結局、逃げようとしたものに絡めとられているのかもしれない。でも、というか、逃げてない。どちらかというと逃走ではなく闘争だと私は思う。駄洒落じゃないよ! 少なくとも、今の私にとってはそう。逃げることも手段の一つだ。立ち向かっている。何に?

カップリングの想像をふくらませることを「幻覚」と呼ぶ表現を見かける度、あながち幻覚でもないんじゃない? ものによっては。と私は思うのだ。友愛でもない、恋愛でもない、性愛でもない……ならそれは何? AとBの間にあるものは何? A×Bと表記するということはB×Aとは違うということで、ABAやBABでもまったく違うことになってしまう。じゃあA+B? それともB+A? イコールWHAT? これは数学の話ではないし、呪文を唱えているわけでもない。これは虚構の男性キャラクター同士の関係性の話、もしくは……。

もっと言えば別に――強い感情を「向け合って」いなくてもいい。互いに向けられる矢印が同じくらいじゃなくてもいい。一方が宇宙を爆散させてしまうくらいの矢印で、もう一方が道端の石ころを見つめているだけくらいの矢印だとしてもいいのだ。すれ違っているほどいい。意味不明で理解不能なほどいい。名づけえぬ関係、と呼ぶこともまた名づけではないだろうか。いつか私たちに似合う、ぴったりの箱を見つける(そんなものがあるのかな? 中身さえあればいいのではないか? 箱じゃなくてもいいのではないかな? などなどなど)