アセクシュアルスペクトラム アンブレラ――Aegosexualとオタクについて

 Aro/Ace アロマンティック/アセクシュアルについては、検索すれば(まだまだ十分とは言えないにしても)基本的な紹介記事やコミュニティを知ることができると思うので、今回はもっとそのスペクトラムの細かいところ、アセクシュアルアンブレラの一部について調べたことを書いてみようと思います。

 オタクでクィアの自認のある人の中には「自分はフィクトセクシュアルだ」と感じている人もいると思います。もしくは「Aセク寄りかも」と感じている人もいるかもしれません。グレイセクシュアルやデミセクシュアル、リスセクシュアルかもしれません。性はグラデーションとは言いますが、男女の二元的なグラフ上であなたの性的指向は?と聞かれて困ったことのある人もいると思います。

 性的に惹かれる相手は二次元のキャラクターであったり(しかも年下の男に言い寄られている美人で高慢でずるくて快楽に弱い男性でないといけなかったりする)、恋愛的に惹かれるのはアイドルのメンバー同士の特別な絆であったり(でもアイドルはファンに向けて異性愛ソングを歌う)、あるいは恋愛よりも友情や他の親密性を優先したい相手がいたり、好きだし性欲はあるけど自分が主体的に恋愛やセックスをしたいわけじゃないとか、ひとそれぞれ……。BLが好きな人の中には「壁になりたい」なんていうスラングもありますよね。

 

 アセクシュアルは「性的魅力を誰にも感じないんでしょう?」「性欲がないんでしょう?」「セックスを嫌っているの?」いいえ、人それぞれです。いろんなAceがいます。

 自分がオタクであること、BLが好きであることをセクシュアリティの1つとして説明したいと思うとき、誰かがこの記事を読んでAegosexualやAsexual umblleraについて調べてくれたらうれしいなと思って書いています。

 

Aegosexual

 アエゴセクシュアル、エーゴセクシュアルと私は呼んでいます。

 Aegosexualは、性的空想を抱いたり、ポルノやその他の性的コンテンツを見たり、自慰行為をしたりすることがありますが、一般的に性的魅力をほとんど感じず、通常、他の人とのセックスを望んでいません。一般的なエゴセクシャルの経験には次のようなものがあります。

  • 性的コンテンツを楽しんだり、興奮したりするが、実生活での性的関係に対する興味や欲望はない。
  • 自慰行為をしているが、セックスには中立的である。もしくは、他人とセックスするという考えに反発する。
  • セックスを空想するが、自分自身は主体的に関与しない。一人称からではなく、三人称からそれを見る、身体を持たない観察者として空想する。
  • 有名人や架空の人物など、他の人のセックスだけを想像している。
  • セックスについて空想するが、相手は特別な誰かではなく、一般的でぼんやりした人々を想像する。
  • セックスを空想するが、実際の自己としてではなく、他人の観点から。
  • セックスを空想するが、自分を想像するだけで、他人を想像することはない。
  • セックスについて空想的するが、それは理想化されており、非現実的。ファンタジーに現実的な要素を追加すると、セックスのアイデアは魅力的ではなくなり、嫌悪感さえ感じることもある。
  • 誰かに対して「刺激的だ」と色気を感じたり、性的に魅力的であると認識していても、実際の生活でその人とセックスすることに魅力を感じていない。むしろ、その人とのセックスよりも空想の方が好きかもしれない。
  • エロティックなコンテンツを楽しんでいるが、人を惹きつけるというよりは、ストーリーラインの状況や人間関係のダイナミクスに惹かれる。

……どうでしょうか?

Aegosexualの歴史

  Autochorisexual(オートコリセクシャル)という用語は、人間のセクシュアリティを専門とする心理学者であるアンソニー・ボガールト博士によって、2012年につくられたそうです。当時、無性愛は精神障害と考えられていたため、彼はutochorisexualをパラフィリアと分類しました。これには当然、批判が起こりました。2014 年 11 月に、 Tumblr ユーザーの Sugar-And-Spite によって「Aegosexual」という呼び方が作成されました。意味はどちらもほとんど同じですが「Autochorisexual」の差別の歴史的な意味合いを避けるため、もしくは発音のしやすさのために「Aegosexual」という用語が使われます。anegosexual(アネゴセクシュアル)とも言われることもあります。

※以上はLGBTA Wiki からの翻訳です。 

lgbta.wikia.org

 

 夢小説やBL好きのいわゆる「女オタク」の集まりに参加したことがあります。そこで交わされた会話の中に、やっぱり「オタクの友だち」じゃないとわかりあえないものがある、「一般の友人」とは話せないことがあるよね、というのがありました。

 オタク同士の安心感という感覚は、単純に同じジャンル仲間である所属意識とか推しのキャラクターについて気兼ねなく話せるとか、それらだけではないと思います。そこには「一般」でない「逸脱した」自分たちへの自虐と優越があります。ときに、カフェや電車内で推しの話やカップリングの話を大っぴらにするオタクはマナー違反とみなされます。でも、オタク同士の逸脱の場ではほとんどポルノみたいなBLアニメをみんなで鑑賞するし、二次元キャラクターと自分の恋愛生活を現実の恋人のように語ることも肯定してもらえるし、画面に映る声優やアイドルに「エロい!」と直球に叫ぶことができるし、自カプの初夜や死に方について議論することも、抜けるおすすめBLのリンクを送り合うこともできます。

 そこには、ヘテロノーマティヴィティやamatonormativity(恋愛伴侶規範) から自分を切り離すことが許され、一時的に解放される安心感があるのかもしれません。とくに、わざわざ「女」オタクと有徴化されるわたしたちが、だれにも消費されず消費する側になれるクローズドなのかもしれません。そのわりに擦り切れていく感じがするのはなぜなんだろう。

 

queer platonic relationship

 ロマンスとセックスのない親密な関係。つまりあの場には、それがあったのではないかと思うのです。BLや夢ジャンルを「女性向け」と言いますが、これは誰が想定されているのでしょうか。BLや夢が好きなのはシスヘテロの女性だけではないはずです。無自覚にせよ自覚的にせよ、オタクのわたしたちがAegosexual的な何かを持っているとすれば、ある意味であの安心感はクィアプラトニックな繋がりのことでもあったのかもしれないと思います。でも連帯というほどの強さではなかった。かつて語り合った友だちとは今でもLINEは繋がっていますが、たぶんもう二度と会わない気がするしわたしからは誘わない気がするし、案外ブロックされていたりするのかもしれません。女オタクみんながフェミニズムに関心があるわけではないし、そもそも既に異性と結婚していたりするし、目の前の友だちがセクシュアルマイノリティだとは思っていないだろうし、結構アウトな発言で傷つけたり傷つけられたりするので……。固定だのリバだので気まずくなるから、ジャンル引っ越しするからとかそういうこと以上に、「パッと見ではオタクとわからないオタク」「擬態の上手いオタク」がもてはやされる風潮のある場で「イベントで身だしなみに気を遣わないブスのオタクはありえない」みたいな話題や、「本出そうよ!」とか「二次創作したら?」とか「ガチャでウン万円爆死した」とか「ランダムグッズ死ぬほど買って推し以外いらないから余ったやつあげるね」が出るときに感じる類の気まずさのある…もうオタクって疲れてしまって言いたくなくなる……

 

fictosexualとはどうちがうの?

 フィクトセクシュアルは、架空の人物/登場人物にのみ性的魅力を感じる性的指向です。フィクトセクシュアリティは、架空のキャラクターとのセックスに対する限定的な欲求を伴うため、アエゴセクシュアルとは異なります。一方、エーセクシュアリティは覚醒のパターンのことです。

www.reddit.com

 

 

 フィクトセクシュアルは性的魅力(Sexual attraction)であり性的指向Sexual orientation)であるのに対して、アエゴセクシュアルは覚醒(arousal)です。

 フィクトセクシュアルは、自分が特定の誰とセックスしたい欲望を持ち、その指向が二次元のキャラクターなどに向かいます。

 アエゴセクシュアルは、自分が一時的に興奮・反応するだけです。どきどきしたり性器が反応したり、セックスやマスターベーションなどの性的な活動をしたいという一般的な衝動を覚醒と指します。

 

 性的魅力と覚醒のちがいなど、このあたりはわたしも調べていてよくわからなかったので、また次回の記事で整理しようと思います。

 ちなみに、GoogleやtumblerでAceやAegosexualを検索すると、いろんな英語記事を読むことができるのでおすすめです。ありがたいことにGoogleの翻訳機能を使えばかんたんに読むことができるので、英語が苦手なわたしでも大意は把握できます。