オタクとクィア

 いつも何かの話をするとき、わたしの話をすることになるのですが、それはわたしがわたしについて書かなければいけないと思っているからで、つまり今回もわたしの話からになります。

 

自分を何と呼べばいいの

 わたしはBLが好きなBL愛好者です。今風により詳しく説明するならきっとShipperが近いけど、このアルファベットの呼称にいまいちしっくりこなかったので、Shipperとは表記していません。「Shipper」は作品の多様な登場人物の中で「二人以上の特別な関係性」によってそのカップリングを好きになるオタクやファンであることを表すのにはとてもよく思えます。BLに限らずGLやHLでも恋愛でも恋愛じゃなくてもセックスをしてもしなくてもプラトニックでもブロマンスでもそれ以外でも。ビビッときたならカプで考えたい、掛け算をしたい、二人の関係性を追求したい。Shipperという言葉はそういう気持ちを表現させてくれるし、クィアでエンパワーメントな力を持っている名前だと思います。

 でも結局、Shipperと言いながらオタクはBLばかり見ている面があるのかもしれないと感じて、元気をなくしています。クィアLGBT作品で盛り上がっていても、それらの多くはシスジェンダーのゲイが主役です。美しい容姿、美しい恋愛、美しい物語で生きる男性同士。それを外から消費する人々。フィクションは人生を豊かにしてくれるしフィクションでしか感じられない救いがある、それはそうだけど都合のいいところだけ楽しむのは無責任だと思う。この国では、お互いに助け合って生きていきたくてもそれが同性同士であれば法的な保障や生活の選択肢すら奪われているし、セクシュアリティホモフォビアに悩んでいるのはフィクションの登場人物だけではないのに。

 とはいえ、わたしも少し前まではShipperと名乗っていました。でも、HLそのものというよりHLにまつわる異性愛主義や性規範に傷つくことが多いのでHLはほとんど見ないし、GLや百合を見るときの気持ちはBLを見るときの気持ちとは明らかにちがう。BLはひとまずは安心な場所だけど、その物語にわたしはいない。わたしは男でもないし少年でもない。わたしはどこにいて、わたしのための物語はどこにあるんだろう。たとえば、女と女の話で戦いがあってかわいくてかっこよくて勇気づけられて、女性の身体が消費されてなくて恋愛がテーマじゃなくてハッピーな物語とか。「シーラとプリンセスの戦士」は最近すごく観てよかったアニメ作品です。

 非公式にカプらせる(Shippingする)二次創作、もとからBLがメインである(Shippingされている)商業BL、受け/攻め文化や「過激な」ポルノ表現、男と男の関係にとことんこだわりたい、百合やGLとは区別したい、などその他もろもろ、「Shipper」という言葉では背負いきれないアイデンティティがあります。BLが好きなんだからBL愛好者ってゆえばいいじゃん。というか、わざわざ表記しなくてよくない?
BLや夢が好きなことの表明は自分を知ってもらいたいから、同じ趣味の人と繋がりたいからという意味だけじゃなくて「苦手な人は避けてください」「BLや夢が好きなのはふつうじゃない」という自虐と抑圧の意味がある。そんな意味なら表記なんていらないし、わざわざ言ってアピールしなくてもいいし、そういうのは疲れてしまった。BLが好きだとは言い続けるけど。

 

 まだ話すの?話すよ。

 それで今思っているのは、BL=女性向けというジャンル分けについて。

 BLが好きなのは女性だけじゃない。BL好きの男性もいるだろうし、Xジェンダーアセクシュアルだっている。そういうBL好きの中の多様性だけじゃなくて、BLはなぜわざわざこんなに「女性向け」を強調されないといけないんだろう。間違ってもBLが「女性向けを越えて男性向けや一般向けでも通用する」とか「性別を超えた普遍的な愛」だとか言いたいわけじゃない。BLを読むのはもっといろんな人がいていい。もちろん、BL文化を担ってきた多くが女性というのは忘れてはいけない歴史だけど、BLはもっと開かれていい。もっと言えば百合が好きな女もいるしBLが好きなレズビアンだっているよ。ジャンルって何なんだろう。夢=乙女向けもそう。すぐれた漫画の書評で少女漫画が無視されるみたいに、「女性向け」は低俗でくだらないっていう勝手な評価で分けられるジャンルなんていらないし、そんなのはわたし向けじゃないと思う。非対称だし、差別的だし、こんなにもBLや百合を見るときにジェンダーセクシュアリティに揺さぶられるわたしって何?わたしもなんにもかんがえずふつうに楽しみたいのに。